地区本選では、事前に自作曲の楽譜を提出しなければいけませんでした。
本番で作品を演奏した後、ステージ上で審査員の先生から講評のコメントをいただいてアドバイスの書かれた楽譜を返していただくという流れでした。
みんな仲良く手を繋いでゴールという時代ではありませんでしたので、褒められる子もいれば、アドバイス(やんわりとダメ出し)される子もあり…
褒められるのが大好きな私。
どこから来る自信か、私は褒められると思い込んでいました。
変な子です。
年齢の低い順に演奏していきます。
講評では、ここの転調がどーたらこーたら、コーダ(曲の最後の部分)がどーたらこーたら、演奏がどーたらこーたら…
何人かの生徒は「この楽譜は自分で書いたのですか?」と聞かれます。
「はい」と答えると、アドバイザーの先生から「綺麗に書けていますね」と褒められていました。
さて、私の番。
演奏後、「これは自分で書いたのですか?」と、アドバイザーの先生。
おー!楽譜を褒めて貰える!
「はい!」と、私。
「綺麗に… 書きましょう」
ん? んん?
今、何とおっしゃいました?
今見返せば、わかります。
全く美しくありません。
縦の線はバラバラ、消しきれていない不要な鉛筆の跡、必要な線も足りていません。
強烈な面倒臭さがり屋。
曲を作れても、楽譜に書くのが面倒。
小学生の頃のグループレッスンの宿題、楽譜を書くのが面倒で、母親に代筆してもらったことがあります。
その楽譜を見た先生は、「綺麗に書けているね」と褒めてくださいました。
いやいや、褒めてくださっているワケがありません。
その時は先生を騙せたと思っていたのでしょう。
そんな雑な楽譜を書いていた私ですが、高校の時に書いた楽譜は、棒を書くのに定規まで使う丁寧っぷり。
ただ、音符の黒丸がスリム過ぎて、「タイ米みたいやな」と友達に言われていました。
後にもうちょっと賢くなってから気付くのですが、斜めの太線の音符もあるので、細すぎるのは紛らわしいのです。
やっぱり丸は丸く書かなければいけません。
その反動(学習の成果?)がこれ。
大学の頃。
曲が完成しているのに楽譜は書けていないという面倒体質は変わらず。
本番はメモをつなげたものを見ながら弾いたりしていました。
提出用はちゃんと美しく。
大人になってから、五線の間隔が狭いと、書くのが (塗り潰すのが)楽だということに気付きます。
これ、老眼が始まったら見えないんだろうな…
今。
人に渡す楽譜はパソコンで書いています。
実はパソコンの方が時間がかかったりするのですけどね。