2017年10月23日

前菜があってもメインがないのがドビュッシー

守山市民ホールでの、「ルシオール音楽塾 第11回 ドビュッシーの新しい響き ~前奏曲集 第1巻~」へ行って来ました。

ドビュッシーについて岡田暁生さんのお話があった後、法貴彩子さんの演奏で『前奏曲集 第1巻』の12曲のコンサートでした。



ドビュッシー(1862~1918)は、フランスの作曲家。
1890年作曲の『ベルガマスク組曲』の第3曲「月の光」で、印象主義の第一歩を踏み出し、1904年作曲の『版画』でピアノ音楽における印象主義技法を確立しました。

もともと「印象主義」という言葉は、美術の運動の中で生まれたものであり、モネの「印象・日の出」に由来します。
絶えず変化する光と影を表現するには、パレットの上で色を作ってから塗るのではなく、色をそのまま塗りつけて視覚作用を利用するという手法です(色の粒をまき散らすなど)。

ドビュッシーは、美術での印象主義の画法と同じように、音を重ねていき、そこから生まれる響き自体を活用して作曲しています。
和音の連なりを和声法の範囲内で使用するのではなく、一つひとつの独立した和音(響き)として用いてそれを巧妙なペダリングで色付けしていきます。
ある響きを空中に放して、その響きが消え去らないうちに次の響きを重ねることで、またひとつの新しい響きを作っていくのです。
また、特徴的な作曲手法として、全音音階、五音音階、教会旋法の使用、2、4、6、7度のなどの付加音を加えた和音や解決しない不協和和音の使用、重音や和音の平行進行などがあります。


岡田暁生さんのお話は、久しぶりに学校の講義を受けているようでとても楽しい時間。
既に知っていることに少しずつ新しい知識や、また違った解釈が加わって、どんどん理解が深くなっていきます。

以下は、岡田暁生さんのお話の覚え書き。

ドビュッシーのみのプログラムの演奏会では、チケットの売れ行きがあまり良くないらしく、ドビュッシーとラヴェルが大体セットで組まれるそうです。
「ドビュッシーの新しい響き」というタイトルのチケットを買って聞きに来ている私たち観客にとっては、驚きの事実です。

ドビュッシー(1862~1918)とラヴェル(1875~1937)は同時代の作曲家、同じ国(フランス)、何となく響きも似ている… と安易に一括りにされがちです。
チケットの売れ行きを左右する原因として考えられる2人の違いは、安心して聞けるかどうか。
ドビュッシーには潜在的な前衛性があり、それが安心して聞いていられない、ちょっとした不安をもたらすようです。
その点、ラヴェルは、安心して聞けるそうです。

ちなみに、フランスというと音楽の中心地というイメージもありますが、フランス出身の作曲家というのはずっといませんでした。
20世紀になってドビュッシーやラヴェルなどの作曲家が登場。
フランスは音楽内容に関しては後進国でありましたが、音楽ビジネスでは発達していましたので、世界から優秀な音楽家が仕事を求めて集まって来ました。
古いしがらみや縛りがなかったからこそ、新しいタイプの作曲家が誕生したとも言えます。
『ジムノペティ』、『グノシエンヌ』などで有名な変わり者、サティ(1866~1925)もフランスの作曲家です。

さて、私たちが「クラシック音楽」と言っているのは、ヨーロッパ17~19世紀の音楽。
ドビュッシーが活躍する時代は、「近代」(20世紀音楽)と言われます。

ドビュッシーは、クラシック音楽の定義を解体した「現代音楽の祖」。
クラシック音楽での「普通」である、長音階、短音階を使うかわりに、全音音階を多く用いました。


重要なのは、決してでたらめではなく音階としてのルールがきちんとあること。
また、民謡に多く使われる五音音階を使うことで、クラシック音楽が様々な世界の音楽と結び付く可能性を開きました。
「’’音と香りは夕暮れの大気の中を漂う’’」では、ジャワ島のガムラン音楽、「ミンストレル」(ミンストレルとは、19世紀にロンドンで流行っていた、白人が顔を黒塗りにしてバンジョーで即興で歌うショー)では、ドビュッシーが場末の音楽に興味を持ったことをうかがえます。
それまで、クラシック音楽は上流階級の音楽であり、場末の音楽や民衆の音楽を排除してきていました。

そして、ドビュッシーの美学は、「謎めかす」ということ。
長調か短調かを判定する第3音を使わないことによって調性を煙に巻きます。
正解?そんなもの知らないよ、というスタンス。

『前奏曲集』でのタイトルの付け方にも、特徴があります。
通常、タイトルは楽譜の一番最初に大きく書かれていますが、『前奏曲集』では、終止線の下に、(...Les collines d'Anacapri)と括弧書きで書かれています。



演奏者は、最後まで弾いてタイトルを発見することになります。
この内容は「アナカプリの丘」だと思って弾くのではなく、どういうこと?と思いながら弾いて、わからないのならば最後にヒントをあげましょう、という感じ。

大切なことは言わないのがドビュッシー。
音がない空白の時間を聴かせるために、敢えて音を出すような曲もあります。

そして、岡田さんのドビュッシーの音楽の解釈がとても面白かったです。
ドビュッシーの音楽は「面(めん)」。
これは、べた塗りや影がない浮世絵の描き方や印象派の絵画の描き方と同じだといいます。
見る角度で音楽の見え方は変わるので、前景では音楽が進んでいるように見えますが、実は背景は常に同じまま。
結局何も変わっておらず、ぐるぐる同じ場所を回らされている感覚だそうです。
まるで万華鏡のようだ、と。

最後に、質問コーナーがあり、観客の方からの質問に答えてくださいました。
ドビュッシーと関係があるのかないのかわかりませんが、良い話がありました。

ひとつは、いくら技術があっても、何がやりたいのかわからない人、それが伝えられない人はダメ(つまり下手)ということ。
技術ばかりが突出している人が多いことへの岡田さんの怒りでした。

もうひとつは、テンポの話になった時の、ルーマニア人指揮者セルジュ・チェリビダッケの言葉の紹介。
正しいテンポについて質問するなんて馬鹿げている。
正しいテンポはたったひとつしかない。
しかしそれは、その場その場で変わる。
音楽とは、そういうものである。

とにかく、岡田暁生さんのお話がとても面白かったので、また機会があれば聞きに行きたいです。
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