2024年3月9日

≪今週のレッスン Vol.325 3/9≫ 想像力

ブルクミュラーの「清らかな小川」。
とても丁寧に弾いていて、右手親指のメロディもきちんと出ているし、クレッシェンドもよく付けています。
練習を始めた頃はトゲトゲしかった音色が、まろやかで済んだ音になりました。


でも、まだまだ改善点はたくさんあります。

本番の日が近づいてきています。
そろそろ仕上げの速さについて考えなくてはなりません。
そして、丁寧過ぎて少し重ための弾き方も変えていきたいところです。

まずは距離感。
全体的にゆったりゆったり、顔面すぐ近くの水を見ているような距離感で弾いています。
もう少し遠く、流れが見えるような距離で弾けると良いのですが…

そして速さ。
お家でも、テンポアップと言われているそうですが、きちんと弾こうとすれば、なかなか速さは上がりません。
全ての音を丁寧に正しく出す練習も必要です。
ですが、曲によっては、慎重に弾くことがいつもプラスになるとは限りません。
演奏者が一つずつ押し出すのではなく、音楽に乗ってほしいです。

遠くの小川、強弱はピアニッシモ。
その二つを表現し易い速さで弾いてみてと言うと、少し速度が上がりました。

どう?と聞いてみると、良い感じと答えてくれました。
決して無理に速度を上げたわけではありません。
きちんと曲のことを理解すれば、自ずと速さは決まってくるのかもしれません。

ですが、距離感はまだ変わりません。

もし、小川の水そのものを表現しているなら、小川がある風景全体を想像して弾いてみてと伝えてみました。
タイトルは「清らかな小川」ですが、景色全体の中には、空があるでしょうし、草木もあるでしょう。
もしかしたら鳥や動物がいるかもしれません。

手の何を変えるわけでもなく、頭の中の想像を変えるだけです。

すると、良い感じの距離感になり、音も開放的になりました。
とても聞きやすい演奏。

中間部も同じ景色?何か変わる?と聞くと、少し考えて「う~ん、もう一回弾いてみていい?」と。
弾きながら、景色を見ているのでしょう。
とても良いことです。

そして、戻って来たところは?
それは最初と同じ場所かもしれませんが、戻って来た時には初めに弾いた時とはもう景色が変わっているはずです。

少しの想像の変化が、大きな音楽の変化になりました。
演奏者が何を表現しようと思って弾いているか、それが音楽表現にはとても大切で大きな問題だということです。

この生徒さんは、この曲を弾くための技術力としてはまだ不完全なところがあります。
でも、想像力には技術力をカバーする力があるのかもしれません。

全日本ジュニアクラシック音楽コンクール本選、通過しました!
おめでとう!

講評には、曲の流れの表現が良かったと書いていただきました。
心配だった技術面も、メロディ、バス、ハーモニー、それぞれの役割がしっかり見える演奏だと書いていただきました。

最後は東京ですね。
応援しています!

2024年3月2日

≪今週のレッスン Vol.324 3/2≫ 右手と左手が違う動きをする

ピアノを弾いたことがない大人の方からよく聞くことがあります。
両手が別の動きをするのが信じられない…

ピアノを弾くのに指を動かすのが難しいという先入観からそう思われる方がいるのでしょう。
ですが、日常生活の中で、両手指がいつも同じ動きをしているなんてことはありません。
むしろ違う動きをすることの方がほとんどだと思います。

片手でドライヤーを持ちながら、もう片手で髪の毛をバサバサして乾かす。
ゲームのコントローラーなら、両手の指をバラバラに動かしているのですから、やっていることはほとんどピアノと同じです。

右手と左手で違う音を弾くというのは、慣れればそんなに難しいことではありません。
ただ、腕や手首の上下の動きが何故か両手で連動していまうことがあります。
左手の指を鍵盤から上げると、右手も一緒に上に移動してしまいます。
これは、大人の方だけでなく子どもの生徒さんでも起こります。


この曲では、左手に同じ音が続きます。
鍵盤を押さえたままいくら押しても次の音を出すことはできませんので、一度鍵盤を上げてからもう一度弾かなければなりません。
鍵盤を上げる動きは左手だけで良いのですが、何故か右手も一緒に上がってしまう…
すると、右手のメロディが2拍ごとにブチブチと切れてしまいます。
右手は切らずに長いレガートで弾きたいのです。

左右の動きを連動させない練習。
いつの間にか自然とできている生徒さんもいますし、少し伝えるとすぐにできる生徒さんもいます。
この動きを頭で理解して練習すれば、どの生徒さんもできるようになります。

単純な練習曲を、右手はスラー、左手はスタッカート、2回目はその逆で弾けるようにしてきてもらいます。



両手とも同じ音なので、最初は苦戦する生徒さんもいます。
ですが、一週間の練習でほとんどの生徒さんが難なく弾いています。

レッスンで少しやってみてもらい、困っている生徒さんには、思い切ってスタッカートの方の腕を必要以上に上げながら弾いてもらいます。
すると案外簡単にできます。
そのうち、腕をそんなに上げなくても弾けるようになり、自然に弾けるようになります。

何度か繰り返していると、いつの間にか習得できでいて、曲の中でも両手の使い分けができるようになります。

メロディと伴奏のバランスを取り辛い生徒さんには、右手がf(フォルテ、強く)、左手がp(ピアノ、弱く)で練習してきてもらっています。


こちらは、スラーとスタッカートよりも難しいようです。
まず手の加減が難しいようです。
そして、耳をきちんと使わなければいけません。

地味な練習ですが、大切なことです。

2024年2月24日

≪今週のレッスン Vol.324 2/24≫ ドレミファソ、どれが好き?

ある日、生徒さんに聞かれました。
「先生、ドレミファソの中でどれが一番好き?」

それは、どういうこと…?

質問の意味はそのままで、生徒さんは、単純にドレミファソのうち一番好きな音(ドレミ)は何か聞いてくれていました。
ドか、レか、ミか…


さすが、子どもです!
そんなこと、考えたこともありませんでした。
全ての音が平等。

例えば、「ミ」の音が好きだからと言って、「ミ」だけを贔屓して弾くことはできません。
「ミ」がたくさん出てくるから好きな曲というわけでもないでしょう。
そもそも、曲の中でどの音がたくさん出てくるか、数えたことはありません。

ただ、そう聞かれて、考えてみると、本当に全て平等なのか怪しくなってきました。

単音ではあまりそれぞれの音に対して違いを感じることはありませんが、重音になるとその違いを音以外の何かで感じることがあります。
和音だと色や明るさ、固さを感じられる気がして、和声の連結になると、その流れの中で温度やエネルギーなどを感じます。
だから、この響きが好きとか、この流れが好きとか、それは確かにあります。

どの曲が好き?を、どのフレーズが好き?どの和音が好き?というようにだんだん小さくしていくと、最終的にどの音が好き?になるのでしょうか。

一生懸命考えましたが、ドレミファソの中で順位を付けることはできませんでした。
でも、最初にみんなが習う真ん中の「ド」。
好きとか嫌いとかではなく、何となく特別な音ではあるような気もします。

2024年2月17日

≪今週のレッスン Vol.322 2/17≫ ここってどこ?

私が下を向いて書き物をしている時に、生徒さんが話しかけてきてくれました。
「先生~?ここがわからんのやけどー!」

ここってどこよ…

同じものを見ているならわからなくもないでしょうが、私は楽譜を見ていません。
「ここってどこ?」と聞いてみると、「う~ん?ここー」と言う生徒さん。

何度言ってもらっても、私が見ない限り「ここ」では通じません。
小節数で伝えたり、何段目の何小節目という言い方をしたりする必要があります。
そう伝えてくれれば、こちらもどこの話かわかります。
もしくは、言葉で伝えられないなら、その場所を見せにくるか、見に来て欲しいとお願いするか。

「ここ」では伝わらないということを理解する前に、そもそも伝わったかどうかも気にしていないのです。

そして、何がわからない?と聞くと「何かわからんのやけど」と。

それでは何に困っているのかわかりません。
「わからない」と言っているのですから、音や高さがわからないのか、長さやリズムがわからないのか…
それとも、きちんと弾けているのかどうかわからないということか…

こういう生徒さん、案外たくさんいます。
「ここ」とか「これ」とか、きちんと指定して伝えない生徒さん。
「何が」ということを的確に伝えない生徒さん。
そして、伝わったかどうかを全く気にしていない生徒さん。

これは一見、ピアノには関係ないように思えます。
ですが、私は、伝える力は表現する力に繋がると思っていますし、持っている語彙力は経験値や想像力と関係していると思っています。
そして、その時の相手や状況に合わせて適切な会話をするというような判断能力も、ピアノには必要な力だと思っています。

小節を学んでからは、私はレッスンで「7小節目と8小節目が…」というような伝え方をします。
小節数で会話をするようになったはずなのに、例えば、私が生徒さんに「今失敗したところはどこ?」という質問をした時に、「何小節目」と答えずに指で楽譜の場所を指す生徒さん…
きちんと「何小節目」という伝え方をしてくれる生徒さんは、私が「3段目の4小節目が…」とか言った時に、すぐに目がその小節にいきます。
ですが、いつも指差しで伝えている生徒さんは、そうはいきません。

「ここ」ではわからん…
何度も言うのですが、やっぱり「ここが…」と言ってくる生徒さん。
伝わっていないということは、私の伝え方も改善する必要があるということですね…

2024年2月11日

ガーシュウィン本人の「ラプソディ・イン・ブルー」

『オルゴールミュージアム展 in NAGOYA』
残された音 ~自動演奏楽器の歴史をめぐる旅~

白黒のグランドピアノ、とても雰囲気の良い写真。
インターネットの広告に出てくるのが遅過ぎた!
閉幕まであと4日くらい。
行ける?
行けない?

最終日に滑り込みで観てきました。


嵐山のオルゴール博物館の収蔵品を名古屋に持ってきているそうです。

これが、凄く良い展覧会でした。
行くのを諦めなくて良かった…

展示の最初は、シンギングバード。
鳥の声はもちろん、動きまでも本物かと思うくらい。

世界最古のオルゴールが展示されていました。
スイスの時計職人さんが偶然に作った物。
3㎝ほどの小さなオルゴールですが、輝いていてとても素敵。


シリンダーオルゴール。
筒状のオルゴールです。


どのオルゴールも現役で、スタッフの方が音が出るようにしてくださいます。
ポロンポロンと素敵な音色。



大きな自動演奏楽器。


ダンスフロアで踊る人たちは、どれも優雅に動きます。


オートマタも展示されていました。


ディスクオルゴール。
オルゴールの箱自体がとても立派で、ディスクを収納する場所もあります。




太鼓やシンバルが付いた大型の自動演奏楽器の演奏は大迫力でした。
想像以上に大きな音が出て華やかな演奏です。


オルゴールを作る作業台や分解されたオルゴールもあり、興味津々で見てきました。



上のフロアでは1時間ごとに解説があり、蓄音機からディスクオルゴール、大型の自動演奏楽器と順番に説明と再生をしてくださいます。
最後に自動演奏ピアノの音色を聞かせてくださいました。


象牙と黒檀のスタインウェイ。
ロールをセットできるように改造されています。


聴かせてくださったのは、ガーシュウィン本人の演奏で「ラプソディ・イン・ブルー」。
本人の演奏は想像よりもジャジーでした。
いくらジャズっぽい曲とは言え、私は楽譜を読んで真面目に弾いていましたし、どんなピアニストの演奏もここまでジャジーなものはなかったので驚きです。
作曲した本人がこう弾いているのだから、ある意味これは一つの正解の演奏。
ただ、いくらそのピアノで演奏したままが残ると言っても、調整の具合やバランスが変わったりしたら、100%再現とはいきません。
ピアノの場所が変われば、その演奏の良さも変わるでしょう。
それでも、CDなどのデジタルな音でなく、アナログな音で聴けるのは嬉しいことです。

絶対に両手で弾けないでしょ!どうやって弾いてるの?と思う場所がありました。
重ねて録音が可能だそうです。

間違えたらアウト、一発勝負なのでしょうか。
紙の穴を塞いだりして修正は可能なのでしょうか…

ペダルは動かないけれど、きちんとダンパーは動いています。

動力は電気です。
蓄音機のような5分ほどのことならゼンマイで動力が足りますが、20分にもなったら動力は電気でないと足りないそうです。

ピアノの演奏を聞いて自分も弾きたくなる現象が起こりました。
魅力的な演奏を聞くと自分でも弾いてみたくなります。
それに、「ラプソディ・イン・ブルー」は、一時よく弾いていました。
気に入って、詳しく調べてレポートにまとめたことがある曲です。
もう一度勉強してみようかと思いました。

最後に、もう一曲。
ベートーヴェン「エリーゼのために」
どうしたのか、もの凄く下手くそ…
理由があるのかと思いましたが、特別何かの説明はなく、これは何だったのでしょう…
何故そんな演奏なのですか、何故そんな演奏の物を再生したのですか、と聞くのはさすがに憚られて、結局わからず終い。

再生の不具合かと思い、1時間後にもう一度「エリーゼのために」を聴こうと行くと、違う曲でした。
ショパン「革命のエチュード」
右手と左手を分けて録音した?と思うような不自然なタテのずれ方をするところがたくさんありました。
一体どうなっているのでしょう。


ずっとオルゴールの音が耳に入ってくる展覧会。
疲れるかと心配しましたが、充実感でいっぱいでした。
凄く楽しめました。

アナログな物って良いですね…


【まごいち音楽教室】
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