2018年5月6日

美術館へ

美術館へ行くのが好きです。

展示されている作品は間違いなく「本物」で、作者から観衆に直接届くもの。
誰かによって変えられるものでもありませんし、いつからか作品の一部が変化するなんてこともありません。

それに比べると、音楽作品の「本物」というものは、よくわからないものです。
作曲家の自筆譜が展示されていても、それは音楽ではありません。
その楽譜が音になって初めて音楽になります。
現在の音楽において、楽譜を書く人(作曲家)とそれを音にする人(演奏家)は別のことがほとんどです。
その演奏が本物かそうでないかは区別し難いし、どんなに素晴らしく良い演奏でも同じ演奏は二度とありません。

美術館に行けば、本物の作品を見ることができます。
でも、コンサートに行けば本物を聴けるかというと、それは難しいところ。

モーツァルトのピアノ曲を演奏するとします。
モーツァルトの時代とは楽器が違うから、そもそも現代の演奏はどれも本物とは言えないかもしれません。
モーツァルトの時代の楽器で演奏したとしても、モーツァルトが書いた楽譜に忠実に演奏したとしても、それが本物かどうかはわかりません。
どんな音楽を作ったのかは、モーツァルトにしかわかりませんが、モーツァルトはもういません。
現代の演奏をモーツァルトが聴いて「いや、それ全然違うし!あかんやろ!」と言うかもしれませんし、「それも有りやん!」と言うかもしれません。

その演奏は、モーツァルトの本物でなくても、ピアニストの本物かもしれませんし…
そうなると、音楽作品って一体誰のもの?ということになってきます。

美術作品は、明らかに作者の作品です。
観衆は、作者が表現したことを直接受け取れます。
その作品をどう受け取るかは、観ている人によって違うかもしれません。
持っている知識によっても変わるだろうし、その時の感情によっても変わるでしょう。
それでも、美術作品はそこにある作品が全て。
それ以上に何かをつけ加えることはできませんし、あるものを無視することもできません。

だから、美術館へ行って作品を観ていると、解釈とか関係なく、直接感情に何かを突きつけられたような何とも言えない気分になることがあります。

久しぶりに佐川美術館へ行き、『神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界展』を観てきました。


ハプスブルク家のルドルフ2世(1552~1612)は、美術品にとどまらず、工芸品、珍奇な自然物、科学の分野までも収集しました。

「驚異の部屋」と言われるプライベートミュージアムに、膨大なコレクションを形成し、当時のヨーロッパの芸術文化の一大拠点ともなりました。


ルドルフ2世の脳内を覗いた感覚。
癖のある作品が多くて、美しく奇妙で不思議な空間でしたが、どれもみずみずしくて魅力的でした。

その後、ピアノのレッスンへ行きました。
本物をたくさん観て栄養補給したつもりだったのですが、いろんなことを考えて感じて予想以上に疲れ、脳が破裂しそうで、ピアノを弾く体力は残っていないのでした…

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