外国語の歌なので何を歌っているのかさっぱりわからないのですが、この曲が何となく素敵で、でも何か引っかかるので、注意して聴いてみると…
ずっと同じコードで、Ⅴ→Ⅳ→Ⅰの進行が繰り返されています。
Ⅴ→Ⅳの進行、クラシックでの和声法では「禁則」と言われていることです。
この禁則の進行を大胆に、しかも曲中ずっと繰り返すという…
私は、和声法を、いわゆる芸大の赤本と呼ばれる、音楽之友社から出版されている和声の教科書で学習しました。
和声法の勉強は可笑しくて、最初が一番難しくて、次第に寛容になって、最後にはお好きにどうぞ~!と自由になり、どんどん楽しくなるのです。
ただ、何でもそうだと思いますが、自由というのは本当はとても難しいものです。
スタートとゴールの位置関係と大通りがわかっていれば、寄り道しても遠回りしても、ちょっと踏み外しても大丈夫ですが、何もわからず好きな道へ進んでいけば、迷子になりかねません…
そして、自由が許される範囲を見つけられること、絶対にダメということを理解していなければいけないのです。
ちなみに、Ⅴ→Ⅳが禁則であることは、「カデンツの原則」として1巻の冒頭で学習しますが、これは、最後まで破ってはならない禁則となっています。
みんなが和声法に則って作曲をしていたら、どれもこれも同じような曲ばかりになってしまいます。
いかに誰も気が付かないような和声進行をするか、いかに和声法の禁則を華麗に破るか、それが、作曲家の個性になり、センスなのだと思います。
ショパンは、異名同音を駆使して驚くような転調を何度も繰り返します。
一見とても複雑で何が起きているのかわからないこともありますが、きちんと分析すると、全部和声法の理論で説明してつなげることができます。
ポップスの曲なんかでは、クラシックの理論から見ればあり得ないようなコード進行をしていることがよくあります。
でも、逆にそれがとても素敵であったり、虜になったりすることもあります。
「敢えて」という言葉がありますが、コード進行を全く知らずに曲を作って間違えているのか、知った上で「敢えて」違う進行を選んでいるのかは、きちんと勉強した者にはわかります。
ちなみに、クラシックもポップスも、ドレミを使う音楽の基礎は同じです。
私たちが勉強する調性和声が確立したのは18世紀。
その前の時代には、音程から和音へ、和音から和声へと、それぞれの音楽の決まりがありました。
ストラヴィンスキーは「和声の時代は去った」と言い、メシアンは「音楽は和声という点からみると、底をついている」と言っています。
すでに和声法を無視した作曲家も大勢います。
どんなことにも流行りというものがあります。
結局、音楽なんて知識や規則より、好みの世界なんだなと感じたドライブでした。