一回弾いてしまったら、もう初見ではありません。
初見演奏の教材は、どれも1回限りの使い捨てです。
振り返って分析したり、間違えず弾けるまで弾いてみたり、その曲で勉強することはありますが、それはもう初見演奏ではありません。
初見演奏の能力を上げるためには、ひたすら初見演奏をすれば良いというわけではありません。
今まで弾いてきた力で、初めての曲をどれだけ弾けるのかが初見力。
初見演奏の能力を上げるためには、音楽力を上げなくてはいけないのです。
「ピアニストの脳を科学する」という本では、初見演奏には3つの能力が必要だと言っています。
「短期記憶」「周辺視」「指使いの選択」です。
ただしそれは、楽譜通りの音、楽譜通りの強さで楽譜通りのタイミングで鍵盤を押すという行為についての話です。
それでは、記憶力と運動神経(反射神経)のゲームのようです。
初見と言えど、音楽的に弾けていなければ、それは演奏とは言えません。
ですから、その3つに加えて、私は「先を読む力」が必要だと思っています。
音楽がどの方向へどんなエネルギーを持って進んでいるのか。
言葉に単語、文節があるように、音楽にもかたまり(=モチーフやフレーズ)があります。
本を読む時、1字1字読むことはしませんよね?
単語や文節のかたまりで読んでいます。
音楽でも1音符ずつ読むのではなく、かたまりで読むのです。
また、文章や会話では、次に来る単語を予測しながら読んだり話したりしています。
「雨が降ってきたので傘を」ときたら「持って行きます」「買いました」などを思い浮かべると思います。
まさか「傘を」に続けて「美味しかったです」や「笑いました」なんて続くことはないでしょう。
音楽にも、適切で自然な進み方があり、次に来る響きは大抵予測出来るものです。
その和声の連なりをカデンツと言います。
音楽を聞いていて、フレーズが終わるのを予測できることは多くあります。
「終止形」という定型文があるからです。
たくさんの音楽を知っているということは、たくさんの文法を知っているということです。
和声法に則って作られた古典派の音楽や、ロマン派の音楽の一部は、私には割と初見演奏しやすい音楽です。
たまに予測が外れる時、それは、敢えての効果を狙って外した響きか、もしくは作曲した人と感性が合わなかったか…
和声法が崩壊した近・現代の曲になると、やっぱり難しい。
その作曲家や曲の作り方が見えれば先を読めることもあるのですが、それ自体が複雑で難しいのです。
世の中には物凄い数の曲が存在します。
一生のうちに何曲弾けるのか。
できるだけたくさんの曲を弾くためには、初見演奏の能力はとても大事です。