紫色のチラシがあまりに印象的で、思わず手に取りました。
行くかわからないけれど、このチラシは綺麗だし貰っておこう…
帰ってからチラシを開くと、そこにはリストが!
これは、会いに行かなければなりません。
ハンガリー、ブダペストと聞いても、美術のことは無知で何も思い浮かびません。
音楽だったら、リスト。
あとは、バルトークくらい…
ハンガリー舞曲やハンガリー狂詩曲など、触れる機会はたくさんありますが、そう言えば、ハンガリーのことは何も知りません。
展覧会は、ブダペスト国立西洋美術館とハンガリー・ナショナル・ギャラリーが所蔵している作品で、ルネサンスから20世紀の初頭までのヨーロッパの美術作品が130点ほど。
チラシの作品、シニェイ・メルシェ・パールの『紫のドレスの夫人』は、他の絵画と違う色遣いと明るさで、際立っていました。
そして、リストは、この『紫のドレスの夫人』と背中合わせに展示されていました。
ムンカーチ・ミハーイによって1886年に描かれた『フランツ・リストの肖像』。
年老いたリスト。
大きい…
リストの強さや威厳が感じられます。
リストは、1886年3月にムンカーチ夫妻に会うためにやって来ました。
3月23日にムンカーチ邸でコンサート付きの夜会が催され、この時のプログラムには、ムンカーチによってリストの肖像のスケッチが描かれています。
曲目は全てリストの作品、サン=サーンスがピアノを演奏していたこともわかります。
3月25日には、サン=トゥスタッシュ教会で、リスト作曲の『グランの聖堂献堂式のための荘厳ミサ曲』がリスト監督のもとエドゥアール・コロンヌの指揮により上演されました。
ムンカーチは、このリスト滞在時に肖像画を2週間で完成させています。
その後、リストは7月31日にバイロイトで亡くなったため、最後の肖像画となりました。
ムンカーチとリストが出会ったのは1872年頃のようですが、交流が深くなったのは1882年。
この年、ムンカーチの大作『ピラトの前のキリスト』が、ウィーンやイギリスの諸都市に加えてブダペストでも展示されました。
2月18日からのブダペストの展覧会に合わせて帰国したムンカーチを、ハンガリーの人々は「美術界のフランツ・リスト」として称えました。
ムンカーチのブダペスト滞在中、ムンカーチとリストは互いの家を行き来し、ほぼ毎日のように顔を合わせていました。
そして2月25日、ムンカーチとリストのために開かれた夜会で、リストは、ムンカーチを祝して作曲したピアノ曲を演奏しました。
『ハンガリー狂詩曲 第16番』です。
ムンカーチがリストの肖像を描くのはそれから4年後です。
リストの肖像画と言えば、アンリ・レーマンが描いた作品が有名です。
長い髪の毛、黒いロングコートを着て立っている、若い頃のリストです。
背が高くてシュッとしています。
今回見たムンカーチのリストは、重厚感たっぷり。
年老いて白くなっても、やっぱり髪の毛は長いのですね…