学生の頃、伴奏を引き受けた時、言われたことがあります。
「伴奏は、今までピアノで学んできたことをゼロにしなければ弾けないよ。」
その時は、どうしてそんなことを言われなければならないのかわかりませんでしたが、そのようなことは度々いろんな方から言われてきました。
なぜか、新しいことを頼む際に、今まで学んできたことを全て捨てることを求める人が多いのです。
ポップスの歌の伴奏を引き受けた時も「今までクラシックで習得してきたことを捨てなければ弾けないよ」と言われました。
そして、それを言われる度に、段々と腹が立ってくるようになったのです。
言いたいことはわかります。
ただ、クラシックのピアノを勉強している人は一様に、頭が硬い、融通が利かない、イチから学ぶ姿勢がない、とでも思われているのだろうかと、とても不愉快な気持ちになるのです。
どの人も私の演奏を一度も聴かないままそういうことを言います。
演奏後に、ポップスの人から「クラシックの人なのに意外と良いね」と上から目線で言われた時には、先の言葉を撤回して欲しいと思ったほど腹が立ってしまいました。
演奏を聴いてから、必要だと思った時に「もっと勉強して」と言えば良いのに…
もちろん、どこまでやっても勉強や技術が十分になることなんてありませんが、その時に求められているものを自分が持ち備えているかそうでないかは、自分でわかっているつもりです。
出来ないときは出来ないと言います。
出来ないことを引き受けるのは無責任で、信用を無くすだけです。
引き受けたからには、それなりに弾きます。
当たり前ですが「捨てる」ということが、実際出来るわけではありません。
それに、何か新しいことをする度に、今までに学んできたことを捨てなけば新しいことを取り入れられないなんてことはありません。
今まで得てきたことから生かせることはあるでしょうし、既に持ち合わせているものが要らなければ使わなければ良いだけのことです。
持ち合わせていない技術や知識、感覚を、必要に応じて取り込んでいくのが勉強、練習です。
クラシックのピアノで、例えばベートーベンとドビュッシーを同じような音色で同じように弾くことはありません。
同じ曲でも、弾く場所や使うピアノが変わればタッチもペダルの踏み方も変わります。
どんな場合でも、状況に応じて弾き方を使い分けるのは当然で、それができないのは技術不足です。
これはソロでもアンサンブルや伴奏でも同じで、音楽のジャンルが変わっても同じだと思います。
私は、基本的にはクラシックを好んで勉強していますが、別にクラシック以外に興味が無いわけではありません。
お洒落な響きや格好良いアドリブに憧れて、ジャズをかじったこともありました。
一時期はどんな曲でもジャズ調にして弾いて遊んでいました。
その辺で流れているポップスの音楽を、適当にピアノで弾くのはとても楽しいです。
不思議な響きの民族音楽も好きです。
それにクラシックと一括りにしても、その中にいろんな演奏スタイルがあるのです。
自分がしていること以外のことに関わることで、新しい発見があったり、自分の音楽に活かせられることを得ることがたくさんあります。
いろんな経験、いろんな感情、全て自分の音楽につながります。
そしてそれは、今でなくてもどこかで役に立つのです。
ですから、これからも私は何でも食べる雑食、頼まれたらどんな音楽でも弾いてみる何でも屋さんでいようと思うのです。
最近は、高校生の子から教わるインターネット動画で流行の曲が面白くて大好きなのです…