世の中の物には、全て名前が付けられています。
名前のない物に出会うには、一番に発見するか、自分で生み出すか。
目に見える物だけでなく、「現象」や「理論」などにも、全て名前が付いています。
そして、人間の感情にも。
親戚に、最近生まれた子がいます。
彼は何を思っているのだろう…
まだ言葉を習得していません。
だから、感情はあるけれど、「嬉しい」や「悲しい」ということをまだ知りません。
彼の「嬉しい」は、言葉の「嬉しい」ではないでしょう。
自分の内面で起こっていることを、他の人にわかって欲しい、伝えたい。
共有するために言葉を使い、そして、自分を振り返るためにも言葉を使います。
感情なんて、本当は言葉で言い表せないのに、なんとか言葉で表現しようとする。
「嬉しい」「悲しい」「悔しい」「怖い」…
たくさんの感情を表す言葉がありますが、感情は無限で、どんどん新しい感情も出てきて、知っている言葉では足りないことがたくさんあるはずです。
でも、伝えたり理解するために、知っている言葉を探す…
すると、例えば「うれしい」の4文字に単純化されてしまうのです。
それが今度は逆になり、自分が知っている言葉の分しか感情がないのでは?という気もしてくるのです。
もしかしたら、赤ちゃんよりも、言葉を覚えた私の方が、感情のパターンが少ないのかもしれません…
感情をどう伝えるか。
言葉を使わずに表現できるのが、音楽や美術などだと思います。
新しい曲を練習していて、わからないと思うことが度々あります。
それは、楽譜の読み方がわからない、指の持って行き方がわからない、フレーズの長さがわからない、などの、物理的なことではありません。
テンションがつかめない、エネルギーの持って行きどころがわからない、表情が読めない…
そこには、まだ作曲家と共有できていない感情や表情があるのでしょう。
向こうがどんなことを考えているのか、それは私が持ち合わせていることなのだろうか。
音楽用語のように、楽譜に書いてくれれば簡単なのに…
でも、言葉で書いてしまえば、音楽である必要性がどこにある?
もしその言葉の理解がお互いに違ったら?
いろんなパターンで弾いてみて試行錯誤することがあります。
こんな感じ…と思ったら、それを言葉に置き換える必要はなく、そう弾けば良いのですが、それをメモしておこうと楽譜に書き込むのは難しいことです。
「こんな感じ」を表す言葉を知らないこともありますし、そもそも言葉がないかもしれません。
ピアノのレッスンでは、言葉でやり取りが出来ることもあれば、言葉では伝わらないこともあります。
先生が「こうやって」と弾いてくださるその音から、大きなヒントを貰うことも多いのです。
その演奏は、言葉に置き換えなくても、直接自分の中にストンと入るのです。
音楽を聴いて感動するのは、その「言葉にならない」感情に触れるからかもしれません。
言葉で人に伝えようとしても難しい。
でも、ピアノで弾けば、もしかしたら伝わるかもしれない。
ピアノが弾けるということは、大きな武器を一つ持っているのだと思っています。