先日、体調を崩しました。
他人に移すようなものではなく、ただただ私がしんどいだけなので、私の教室のレッスンはさせていただきました。
むしろ、レッスンをしている時は割と元気でした。
とてもありがたいです。
さて、私もレッスンに通っています。
正直いつも通りの練習はできていませんが、レッスンを休んだところでしんどさが和らぐわけでもないので、行ってきました。
本番も控えておらず落ち着いて練習できる時期で、ここは真面目に…と、ショパンのエチュードとベートーヴェンのソナタを練習して持っていきました。
満足な練習ができていないままレッスンに行くことは良くあるのですが、いつもなら何とかごまかそうと何も言わず全力で弾きます。
ですが、今回はあまりに弾けていないので事情を話しました。
すると、気を遣ってくださった先生が、ショパンのエチュードをするならガツガツ弾くよりは「3つのエチュード」をしたら?とおっしゃってくださいました。
ゆったりゆったり、すごく丁寧に一つずつの音を作っていくの。
ペダルに頼らないレガート、和音のバランス…
良く聴きながら~
レッスンに行ったことでモチベーションも一時的に上がり、早速練習を始めました。
ゆったりゆったり、丁寧に一つずつ…
無理!
しんどい!
自分の粗が目立って落ち込むと同時に、ゆったりの練習は気が散って、しんどい、しんどい。
ガツガツ無心で弾かせて!
常に弾き続けないと無理!と、元の練習していたエチュードに戻りました。
弾きまくる練習が美しい音楽を作るとは思えませんが、今は指を動かすだけでもよくやっていることにしよう…
新しい曲の譜読みも始めました。
無心で読んで、そして無心で弾く…
あまり聞いていない…
ピアノの練習って、こんなので良いのか?
よく「人生で辛い時にピアノが助けてくれました」とか言われるのを聞きます。
私にとっては、ピアノは特別にプラスになるものでもマイナスになるものでもないようです。
辛いからその気持ちから逃れるためにピアノを弾く…、とかは、私には全くありません。
逆に、ピアノを弾いていると凄く幸せで楽しくって!弾いていたくて仕方がないの!というのもなさそうです。
実際に過去に体調を崩して長期間ピアノを弾けなかったことはありました。
でも今またピアノを弾いているのは、やっぱりどこかに楽しさがあるからだと思います。
この年齢になれば、やりたくないことや苦しいことは避けられますし、続けていれば嬉しいこともたくさんあります。
ピアノをしていない人には味わうことが出来ない特別な幸福感もあるのでしょう。
ただ、こうして体調を崩した時にピアノを弾いて思うのは、無心でひたすら打ち込めることがあることの有難みです。
気が紛れることがある有難さ。
自分を確立するために一つの柱になってくれるもの。
これからも特別ではなく、日常としてピアノが存在しますように。