富山県美術館へ。
『チューリップテレビ開局30周年記念 ポーラ美術館コレクション展 ―印象派からエコール・ド・パリ―』を観てきました。
素敵な展覧会でした。
初っ端からモネにルノワール、目の保養です。
アンリ・マティスの『室内:二人の音楽家』。
いつか見たいと思っていた作品が突然目の前に現れて、感激!
想像していたよりも、みずみずしい色合いの作品でした。
デュフィの『五重奏』(1948年頃)。
舞台袖の小窓から覗く感覚。
演奏者を見つつ客席の様子もチェック…
ぼんやりと自分の頭の中の映像とリンクします。
点描画が展示されていたので、あ!ピサロだ!と思うと、何と正解。
いろんな展覧会へ行って、少し知識が増えたのか、何となく絵を見て作者の検討がつくようになってきました。
ですが、まだ、点描画はどれも「点描画」のくくりで、ピサロの隣に展示されている点描画もピサロの作品に見えます。
それが今の私の絵画の知識の限界。
点描画が全てピサロに見えるのは、単純に私が画家をたくさん知らないこともありますし、作者によってテイストの違いがあるはずなのに、それを見分けられないからです。
作者が違うとわかってから作品を見ると、同じ点描画でも色の使い方や筆の使い方が違うのが何となくわかりました。
知識や経験がないというのは、そういうことです。
中学生の頃の私は、「古典派のソナタ」というくくりで、ハイドン、モーツアルト、ベートーベンの違いがわかりませんでした。
ベートーヴェンをモーツァルトのように弾くなと指導されても、そもそも意味がわからない…
どれも同じソナタ形式、和声の進み方も同じようなもの。
高校の時の音楽史のテスト。
CDをかけるので、それを聴いて作曲者の名前を書きなさい。
古典派からロマン派の全ての曲のフレーズと作曲者と曲名を覚えるの?と絶望した記憶があります。
当時は全く知識がありませんでしたので、絶対に点数を取れない問題に思えました。
ですが、今なら知らない曲でも、聞けば誰々っぽいな…なんて思ったりします。
今では、モーツァルトとベートーベンのソナタは全く違うものです。
たくさんの曲に触れ、たくさんの練習を重ねることで見えてきた面もありましたし、時代や作曲家の生き方を知ることで見えてきた面もあります。
ですから、私の美術の知識がもっと増えれば、画家ごとの違いが見えるようになると思います。
こうやって少しずつ自分の中で、美術館での作品の見方が変わっていくのが、何とも言えない充実感です。
さて、今回の展覧会で気になったのは、ルノワールの『休息』。
一目見た瞬間から、何となく「?」な作品です。
とりあえず何かしら感じる違和感。
考える…
これは『休息』というタイトルで本当に良いの?
手前に裸でソファに横たわる女性。
タイトルからすれば恐らくこの女性が主人公なのでしょうが、私には、給仕している女性の方が目に入ってきていました。
給仕係は休息中でなく、むしろ仕事中。
給仕係がお茶を入れているから休息の時間なのはわかりますが…
ルノワールは「休息」を描いたのでしょうか…
考えながら展示室を進みましたが、何点か見た後もやっぱり気になり、もしかしてと思い、もう一度引き返しました。
ルノワールが描いたのは、何?
原語のタイトルは何だろうと思ったのです。
英語表記のタイトルを読むと…
『Reclining Nude and Servant Serving Tea』
そのまま訳されたら駄目だったのでしょうか。
原語のタイトルをそのまま日本語に置き換えれば良いというわけではないのはわかります。
日本語として存在しない言葉があったり、何となく対応する日本語があってもニュアンスが違う言葉もたくさんあります。
「休息」という2文字に訳された作品。
このタイトルでは、裸の女性がメインに思えてしまいます。
しかも「横たわる」=「休息」?
これから、美術のことやルノワールの知識が増えていけば、この作品やタイトルについても理解が深まっていくと思います。
日本語のタイトルを付けた人が、何故「休息」と付けたのか…
なるほど!と思うことが出てきたり、他にまた疑問が出てきたり、考えが変わったり…
こうして、いろいろ考えながら自分自身と話をするのが、美術館の楽しいところです。
富山県美術館は、とても素敵な所でした。
空間の大きさ、目に入ってくる明るさ、音の響き…
心地良く息を吸える感覚がありました。
展覧会目当てでなくても、ふら~っと行ってゆっくりしたいです。
久しぶりに良い場所を見つけました。
めっちゃ遠いけど!