短いエチュードのような曲がたくさん載っているテキストがあります。
小学生の生徒さん、あるエチュードの八分音符と、2曲目のエチュードの四分音符を、同じ長さで弾いてきました。
つまり、2曲目の方がテンポが倍(速い)ということです。
2曲目のエチュードの方が音の数が少なく単純で、簡単に弾けそうな曲ではありました。
でも、その速さと弾き方では、四分音符に聞こえません。
もし私が、この曲を知らずに今の演奏を聴いて楽譜に書き取ったなら、きっと八分音符で書くでしょう。
速さの指定がある曲ではありませんので、速く弾くことが間違いではないのですが、では、なぜこれを作った人は八分音符でなく四分音符で書いたのでしょう。
音符は相対的なものです。
何かの曲の楽譜の音符を全て半分にしたとします。
四分音符を八分音符に、八分音符を16分音符に…
拍子は4分の4拍子から8分の4拍子にしましょう。
そして、テンポは四分音符=100から八分音符=100へ。
これをコンピューターが演奏すれば、結果的にはどちらも同じです。
ですが、私は、この2つに違うイメージを持ちながら弾くと思います。
四分音符と八分音符の表現は違うのです。
音楽をしている人には、四分音符、八分音符に対する、共通の感覚があると思います。
全音楽譜出版社のハノンの1番は16分音符で書かれていますが、子ども用に編集されたハノンが八分音符で書かれていると、途端にゆっくり弾いても許されるような気がします。
音楽に限らず、「量」に関しては、数字と単位で表す明確な量と、そうでない量があります。
例えば「お茶碗に一人の分のご飯をよそってください」と伝えれば、大抵の人がだいたい同じくらいの量をよそうのではないでしょうか。
山盛りにする欲張りさんや、半分以下しか入れないケチケチさんは、「一般的な」や「普通は」のような言葉には当てはまらないでしょう。
ご飯をあまり食べないパン派の人や、ご飯をよそったことがない人は、「一人分」の最適な量がわからないかもしれません。
「だいたいこれくらい、こんな感じ」という共通の感覚は、経験から何となく蓄積されていくものです。
それは、音楽においても大事な感覚で、そのうちいつの間にか自分の中にあるものだと思います。
楽譜に書かれているのは、音の高さと相対的な長さだけです。
速さや強弱などは、自分の経験と知識を頼りに最適なものを選択しなければなりません。
速く弾ければ上手ということはありませんし、間違えずに丁寧に丁寧に慎重にゆっくり…が良いわけでもありません。
譜面(ふづら)や曲の感じから、最適な速さを見つけられることが大事です。
きっとこの小学生の生徒さんも、これからピアノを続けていくと、いつの間にか四分音符と八分音符を弾き分けるようになるのでしょうね…