3月半ばの話…
名古屋市美術館での『ゴッホ展 響き合う魂 へレーネとフィンセント』を観てきました。
真面目なゴッホ。
「砂山の向こうのジャガイモ畑」は上手過ぎるし、土の匂いや湿気の具合までわかる気がする作品です。
どんな奇抜なことをする人も、基礎がきちんとできているからこそです。
ゴッホはだんだんと「ゴッホ」になっていくし、作品はゴッホになって精神は狂っていくし…
ゴッホの作品は強くて脆くて、ゴッホのことは詳しく知らないけれど、勝手にゴッホの何かの部分に共感して、勝手にエネルギーを吸い取られている気がします。
吸い取られながらも、目と脳に栄養をたくさん与えられました。
毎度のこと購入した図録。
図録を買うと専用の袋が付いてきて、やったー!です。
やっと先日、その図録を収納しようと本棚へ持って行くと、あれ、入れる場所がない…
棚の全てが埋まってしまっていました。
そう言えば昨年の暮れに、隙間に押し込んだ図録で最後でした。
と言うことは、その帰りに買った新しい2冊の本も入らないということです。
新しいシューマンの楽譜も、ドビュッシーの楽譜も入りません。
本棚というのは、持ち主の脳みその一部だと思っています。
だから、見られると少し恥ずかしい…
私の本棚にあるのは、楽譜、音楽に関する書籍、展覧会の図録、CD。
展覧会の図録は厚くて1冊で幅を取ります。
ただ知識としては薄いです。
図録なので実際一度は目にしている作品が載せられているのですが、ほとんどお土産のようなものです。
楽譜は、全ての曲を弾いたわけではありませんが、脳みその記憶としては濃いものです。
練習やレッスンの書き込みは、楽譜そのものよりも大切。
音楽書は辞書のようなもの。
一度読み終えて片付けられたら殆ど出番がない本もありますが、事ある毎に取り出される本もあります。
何か気になることが出てきたら、あの本に書いてあったかな?と調べ、この本なら何か手掛かりを掴めるかな?と調べ…
実は買っただけで読んでいない本もあります。
さて、その本棚。
余裕を持っていたはずなのですが、気付けばパンパン!
ちなみに、世の中は何でも電子化が進んでいますが、単純に紙の物が好きなので、本が存在する限りは本を買うと思います。
とは言え、場所には限りがあります。
どうするか…
楽譜や音楽書は必要があって買うものなので減らせません。
遠慮してもらうのは、展覧会の図録でしょう。
お土産感覚で買っている物です。
さて、先日、岐阜で5時間弱の空き時間。
30分あれば名古屋まで行けます。
どこに行こうか迷ったけれど、行きたい所はいくつかあるものの、どこも決め手に欠けて結局無難に美術館へ。
愛知県美術館で『ミロ展─日本を夢みて』を観ることにしました。
水色と黄色の奇抜なチラシ。
正直、私の趣味ではありません。
暇つぶしに行く展覧会だし、チラシを見る限り趣味ではないし、いつでもお土産を買う必要はないでしょ、今回は図録は買わないでおこう、と、行きの電車の中で心に決めました。
場所もお金も、節約!
お昼ご飯を食べたお店のレジで割引券を見つけて、ラッキー!
当日券を買って、入場です。
サラッと見ようと思っていたのに、見ているととても楽しい…
チラシで拒絶していたら勿体ないことをするところでした。
線や空間の使い方、墨を思わせる黒、にじみ、どれも面白いのです。
堪能して満足。
最高の暇つぶしです。
岐阜へ戻る電車は、あいにく座れませんでした。
荷物が重い…
右の肩にはいつものバッグ。
左手に図録!
買ってしまった…