2022年9月19日

未完成の作品

神戸市立博物館で、スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち』展を観てきました。



作品目録が見当たらないので、どこにあるか聞いたら、スマホで見てくださいと言われました。
嫌だ!
目がチカチカするやん!

ここは美術館。
隣でスマホ見てる人がいたら嫌でしょう。
演奏会だって、プログラムを見るのに紙でなくてスマホで見るようになったら、あちらこちらでチカチカして恐らく目障りです。

省コスト化の流れに紛れて、アナログなものを観に行っている場所なのにデジタル化され…
受け入れられるようになる気がしません。

帰ってからチラシや図録を整理しましたが、せっかくなので目録も印刷しておこうかと思い、プリンタに繋ぎました。
データはA3サイズ、プリンタはA4サイズまでしか印刷できません。
仕方なく、データを持ってコンビニまで行ってきました。
どんどん手間が増えているような気がしますが、それも私が頑なにペーパーレスな時代の流れに乗らないからでしょうか…


さて、美術展。
とても上質な作品ばかりでした。


レンブラントの「ベッドの中の女性」
8人目の夫も夫でよく結婚したものだと思うけれど、それはそれは魅力的な女性でした。
8人目の夫はもしかしたら生きているんじゃないか…
そう期待してしまっている表情も魅力的です。

エル・グレコの「祝福するキリスト」
凄いオーラと圧を感じる…
少し胡散臭さも感じる…

ベラスケスの「卵を料理する老婆」
真っ黒の背景に明るくはっきり見える老婆と少年と卵。
卵が凄いと話題でしたが、確かに卵が凄い!
卵は油の中に落とされているようです。


バロック期の絵画が展示されていると高確率で楽器を描いた作品があるのですが、今回もありました。
フランス・ファン・ミーリス(1世)の「リュートを弾く女性」。


とても巧妙に描かれたリュート。
指の位置まで正確だそうです。
楽譜が読めそうですが、何の曲なのかは解明されていないようです。

ひとつ、未完の作品がありました。
コレッジョの「美徳の寓意」。


驚いたのは、描かれていなかったのが、主役の人だということ。
美術に不勉強な私は、重要なものから描いていって、背景や小物などは後に描くものだとばかり思っていました。

他の部分がとても丁寧に仕上げられているのに、真ん中には色付けされていない人の線があるだけです。
この作品を放棄したという説や、そもそも模写なので仕上げて作品にする気はなかったという説、様々あるようです。

主役不在で未完成なのに、他の美術品と同じように並べられています。

音楽なら、例えば「未完成の曲で、ここから3小節は楽譜がかかれていないので、3小節分は音も空白にしておきます」と、演奏しない時間を過ごした後、その次の小節で通常の演奏に戻るなんてことは恐らくあり得ません。
もしそんなことが起こるならば、凄く前衛的な試みだと思います。

シューベルトの交響曲『未完成』は、キリ良く終止線までは完成されていて、第2楽章で終わりです。
足りないのは第3楽章と第4楽章なのですが、現在では第1楽章と第2楽章で『未完成』という、まるで完成された作品かのように演奏されています。

モーツァルトのレクイエムは、モーツァルトのメモを元に弟子のジュースマイヤーが補筆しています。
ですから、曲の途中で演奏が切られることはありません。

先日、ショスタコーヴィチの曲集を買いました。


その中に、未完成の曲が載っていました。
『3つの小品』より第3曲の「インテルメッツォ」です。


楽譜の下部には「※この曲は未完成です。ショスタコーヴィチになったつもりで作曲してみてください。(編者)」と書かれています。
こう言われると、自由に続きを作って良いように思ってしまいそうです。
ですが、続きを作るためには、作曲者のこと、曲のこと、作曲技法、時代背景…、本当に様々なたくさんの知識が必要で、とてつもなく難しいことです。
どの長さで終わるかも決めなければなりません。
もしかしたら、第4曲以降も存在する予定だったかもしれません…

未完成のまま、誰にも手を付けられなかった作品。
演奏会で披露することは難しいですが、楽譜で売り出すことは可能ということです。

時間芸術である演奏では未完成のまま発表するのは無理ですが、物として存在する絵画作品や楽譜は未完成のまま世に出すことができるということですね。

グレイツ展は、日曜日なのに空いていて、とてもゆったり見られました。
その後、演奏会だったので1曲弾いてきたのですが、思ったよりも疲れてしまっていました。
演奏前に美術館、今後はやめておこうと思いました…


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