春休みの終わり頃、美術館へ行ってきました。
国立国際美術館の『ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展』です。
ピカソの作品は、目とか鼻とか何でも好きなところにあって、好きな方を向いていて、それぞれが自由な表情をしているけど、作品として一つの方を向いているのが凄いと思います。
自由に描くなら誰でもできそうだけど、それが一つの作品にまとまっているのがピカソ。
さて、美術館、最近は撮影可能なところが多いです。
写真を撮るのにポジション取りをして動かない人がいたり、子どもにスマホのカメラを持たせて退屈凌ぎに遊ばせている人もいます。
せっかく本物の作品を観に来たんだからちゃんと目で見れば良いのに、どれもこれも写真を撮って…なんて思ってしまいました。
私は、何でもかんでも記憶に残さなくても良いと思っています。
忘れるというのもきっと大切なことで、印象に残らないものは記憶から消えていく、それが普通だと思っています。
全部残して取っておいたら自分の好みも考えもわからなくなってしまいます。
それに、せっかくの美術館、写真に撮ることで後で見られるからといい加減に見てしまうのも勿体ないと思います。
作品自体も大切ですが、作品を見た時に何を思って何を感じたのか、それも大切に残したいと思います。
美術館に行ってからしばらく経った今、やっぱり作品の記憶は薄れています。
展示されていた作品のうち、いくつが思い出されるか。
チラシや図録を見返して、ああ確かにそれもあったわーと思う作品がたくさん。
きちんと全部見たはずなのですけれどね…
そんな中で鮮明に覚えている作品は、ピカソの『ギターを持つアルルカン』。
気に入って、ポストカードを買いました。
ピカソなのに人物が崩れていなくて美しい作品です。
もう一つ、ギターや楽譜が描かれている作品のポストカードを購入していました。
ただ、ギターが出てくる作品が他にもあって、今の記憶ではどれがどれだか、ごちゃごちゃになっています。
ピカソの絵にはよくギターが登場します。
ギター好きだったのでしょうか。
調べてみましたが、よくわからなかったです。
そして、もう一つ気に入って覚えている作品が、クレー『運命のファゴットソロ』。
これは以前に聞いたことがあるバッハの話と結びついて記憶に残りました。
バッハがファゴットの音を「山羊のような音」と言って、ファゴット奏者から嫌われたという話です。
1705年8月4日、現在はバッハ教会と呼ばれるアルンシュタットの新教会での出来事です。
バッハは、聖歌隊員であるガイエルスバッハのファゴットを「山羊のファゴット」だと嘲笑しました。
ガイエルスバッハはバッハの顔を殴り、バッハも剣を抜き、ちょっとした騒動になりました。
『運命のファゴットソロ』というタイトルが、ファゴット奏者を讃えているのか馬鹿にしているのか。
もしかして、クレーもバッハの話を意識していたのでしょうか。
そんなことを考えながら観ていましたが、帰ってから図録を読むと全然違いました。
「ファゴット奏者は「コジ・ファン・トゥッテ」の序曲から技巧的なファゴットのソロを心の中で響かせつつ、終末的な世界の運命を凝視するクレーその人」だそうです。
美術のこともクレーのこともあまり知らないので、自分の中の知識だけを好きなように結び付けて、こんな風に自由に鑑賞してしまうのです。
知らずに観て自由勝手に想像して楽しむのも面白いですが、もっと知識があれば正しく楽しく観られるのでしょう。
美術展だけでなく演奏会もたくさん行っていますが、凄く良かった演奏会のことはもちろん覚えています。
逆に、何か変だった…、あれはどういうこと?と思うような演奏会も覚えています。
何を弾かれていたか、どんな演奏をされていたのか、全く残っていない演奏会もあります。
私も誰かの記憶に残るような演奏を、と思いますが、悪い方向で記憶に残るようなことがないように、良い物を追求していきたいと思います。