先日、レクチャーコンサートへ行ってきました。
モーツァルトの器楽の魅力 ~ピアノ・ソナタ~
そう言えば、最近はモーツァルトに全然触れていません。
子どもの頃は弾くのが楽しかったモーツァルト。
歳をとるごとに難しく感じるのは、私がモーツァルトの年齢を越してしまったからでしょうか。
レクチャーでは、いつも一番後ろの席で必死にメモを取ります。
たくさん吸収して全部持って帰りたいのです。
欲張りです。
一般の愛好家さん向けの催しなので仕方ないですが、今回のレクチャーは短くて薄く、全然足りなかった!
それでも一つくらいはなるほど~と思うこともあって、たまに脳みそが喜びます。
今もう一度、大学に入って勉強したら、凄く面白いんだろうな…
ここ数年は学生の時よりもはるかに勉強している自覚がありますし、歳をとるに従って図々しく学んでいける気がしています。
レクチャーのメモです。
私たちは現代のピアノでモーツァルトもショパンもドビュッシーも何でも弾きます。
今のピアノと同じではないピアノで作られた曲、それを現代のピアノで弾く時に、何を根拠に弾くのか。
中村先生がおっしゃるには、まず当時の楽器を理解すること。
そして作曲家がどんな音をイメージしていたのかを理解すること。
モーツァルトが使用したピアノの中で重要な物は2つ。
初期のピアノソナタを作曲したシュタイン製のハンマーフリューゲルと、晩年に使用していたヴァルター製のハンマーフリューゲルです。
モーツァルトは19歳でソナタ集を出版しています。
天才です。
それに加えて恐らく性格的に先へ進む力が強い、言い換えれば忙しい(せわしい)ところがあるということでしょうか。
それは音楽においても同じで、モーツァルトの音楽は消えるのが早い、良く言えば軽快な音楽です。
モーツァルトを現代のピアノで弾く時の問題は、アクションやハンマーが重く機敏な動きができないことです。
現代のピアノは、重いアクションとのバランスを取るために鍵盤にも錘を入れています。
そして低音が重厚に響き切れ味が悪いこと。
つまりクリアで軽快な音が出ないということです。
モーツァルトの頃のフォルテピアノは、全ての弦が平行(鍵盤に対して真っ直ぐ)に張られています。
響板の木目も同じく縦方向なので、弦に対応する響板が響きます。
楽器の先端から音を出すように作られているそうです。
現代のピアノは低音の弦が斜めに張られています。
そのため、縦に張られた響板の木目に交差し、響板が広く響きます。
響く響板の面積が広いので、低音が鳴り過ぎることになります。
音域によって出る音量が違いますので、演奏者がバランスをコントロールする必要が出てきます。
ちなみに、平行な弦のピアノでは同じ強さで弾くとどの音も同じ強さで出てきます。
現代のピアノで左手が大きくなりがちなのは、弦が太くてハンマーも大きく重いからだと思っていました。
それも原因の一つですが、それに加えて響板の響き方も違うのだと知りました。
さて、モーツァルトをどのように弾くか。
中村先生がおっしゃるには、ベートーヴェンは進化を望んだので、今のピアノで現代の人が弾いても良い音楽を作れるかもしれない。
モーツァルトはその時点でのピアノを好み、そのピアノで(そのピアノに合わせて)曲を作りました。
モーツァルト本人の理想はモーツァルトのピアノで弾いた演奏。
もし現代のピアノでモーツァルトを弾くなら、アーティキュレーションやペダルに注意しなければならないとのこと。
モーツァルトが自身がどのように演奏することを望んでいたのか。
モーツァルトが見ていたものと同じ完成図が演奏者にも見えているか。
モーツァルトのことを知る。
モーツァルトの使っていたピアノを知る。
モーツァルトの時代のことを知る。
だから、勉強も必要ですし、経験も必要なのです。
どれだけ演奏環境や演奏技術が揃っていても、それだけではモーツァルトになり得ません。
表現のための手段として演奏技術は絶対に必要ですが、そこで目指すものがモーツァルトと同じでなければいけないのです。
後半は、モーツァルトのピアノ曲のコンサート。
プログラム全てがモーツァルトというのは珍しいです。
演奏は、会場の響き(作り)のせいかもしれませんが、とても軽くてこじんまりとした柔らかな音楽でした。
アンコールは、モーツァルト『ピアノ・ソナタ 第9番 ニ長調 K.311(284c)』第1楽章。
ピアニストさんが見ているモーツァルト。
ヨーロッパで学ばれた方は、きっと、私が日本の中でいくら努力をしても得られないものを持っていらっしゃるのだと思います。
ヨーロッパに留学なんて贅沢は言わないから…
たまに旅行に行けるといいな~