中之島美術館のチラシが好みでない…
国立新美術館のチラシの方が断然美しいのですが、何故こうも違う物になるのでしょう。
同じ内容の巡回展でも、開催される場所ごとに各々チラシを作られているのでしょうか。
コンセプトが違うのか?と思うくらい、全く違う雰囲気のチラシになっていることがあります。
私は美術は不勉強なので、展示の内容だけではどんな展覧会なのかわかりません。
チラシやキャッチコピーに展覧会の印象が大きく左右されます。
国立新美術館のチラシを見て行きたいと思っていた展覧会ですが、中之島美術館のチラシしか知らなかったら興味を持たなかったかもしれません。
中之島美術館で開催されている『テート美術館展 光 ターナー 印象派から現代へ』を観に行ってきました。
「光」と聞けば、単純に空から降り注ぐ明るさを想像します。
そういう作品もありました。
ですが、暗い雰囲気を纏った作品もあり、西洋絵画の中では光も全て神に支配されてしまっていました。
曇っていても、それはそれで光の加減。
光があるから物が見える。
影もできる。
そう思うと、絵の具で色を作って描く画家さんたちにとって、光はとても大切なものですね。
絵画教室なのか、数名のグループで見に来ておられました。
ターナーの『講義のための図解』の作品を見ながら、絵画教室の生徒らしきおばちゃんが先生らしきおばちゃんに話しかけていらっしゃいました。
「これ教えてもらって描いたやつやん!これなら私も描けるでー!」
「これと私の描くんと何が違うん?」
そのようなことをおっしゃっていました。
そのおばちゃんの作品がどんな物で、どれほどの腕なのかわかりません。
ですが、素人さんなのだとしたら、どれだけ単純な物でもターナーが描く作品とは全然違うのでしょう。
ピアノだったら、例えばハノン。
正しく弾くこと自体はすぐに可能ですが、ピアニストのハノンと習い始めたばかりの人のハノンは全く違います。
音量や速さなどではなく、質が違います。
正確さの質、音色の質、レガートの質、テンポ感の質…
自分を基準にして上(もっと弾けるほう)を見たら、どれも同じに見えるのものです。
逆に、自分が習得できたことを見たら、違いがわかります。
子どもの頃は、ショパンの「革命のエチュード」を聴けば、誰のどんな演奏でも同じように凄いと思いました。
でも今では、演奏者によって全然違うことがわかります。
ここをこうすればもっと良くなるのに~と思うこともたくさんあります。
素晴らしい演奏のどこが素晴らしいか、明確に説明することもできます。
きっと絵画も同じでしょう。
絵を学んでいる人には、私にはわからない作品の見方があるのでしょうし、それぞれ良し悪しの基準もあるのでしょう。
「これと私のと何が違うん?」と言っているうちは、残念ながら、まだまだ何もわかっていないということです…
面白いと思ったのは、ルイジ・ヴェロネージの作品。
長時間露出で光を操って、カメラの中で描いていく作品です。
初めて写真作品を興味深く見られました。
撮った写真のどこが芸術なのか、私にはわかりません。
撮るだけなら、それは芸術じゃなくて技術だと思っています。
でも、ヴェロネージが行っている、カメラの中に光で描くというのは完全に芸術だと思いました。
ジェームズ・タレル『レイマー・ブルー』(1969年)。
青い光の部屋に入って、私は何を見せられているのだろう…
そんなことを考えながら、解説を確認するために部屋を出ました。
「対象もイメージも焦点もないのに、あなたは何を見ているのでしょう。見ている自分自身を見ているのです。」
それこそ現代アートの嫌いなところ。
見る人によって見え方が違うやつです。
解釈を見る人に委ねたやつです。
やられたわ…
現代作品になると、これなら私でも作れるやん!と、私もつい言ってしまいそうです…